生きるということ<テレビ寺子屋>

<作家 平岩 弓枝氏>の講演情報


 1.”桜の24時間を8つの人生に”

 私はテレビの仕事をしていましたが、その際、いつも私を理解してくれる仲間と一緒に
 仕事ができました。
 そして、その仲間たち、一人一人の考え方の中から
 「これが自分の人生を力一杯生きるということなんだな」ということを悟っていったような
 気がします。
 その話をひとつ紹介します。

 私は「花の影」という、桜の人間が主人公の小説を書きました。
 なぜそんなことを考えたか。
 私は人間の心の中の小さな喜びや悲しみの積み重ねを書くのが好きです。
 それを一生懸命書いていくと、いつもひょっとぶつかるのは戦争です。

 戦争は人間を大きな悲しみの中に叩き込んでしまい、
 小さな悲しみは相手にされなくなります。
 ところが現代の人間の一生を書いていくと、どうしても先の戦争にぶつかります。
 これは仕方のないことで、それで私は比較的一生物をあまり書かないできた作家です。

 ところが、ある桜専門に撮っているカメラマンとの座談会の折り、
 その年でその桜が最も力一杯咲き誇って美しいのは、たったの24時間だと知りました。

 それがヒントになって、桜の24時間を8つにわけて人間の10代から80代に当てはめ、
 それぞれ別個の短編小説を書いてみよう、
 そして一人の女性を描けば歴史や社会の動きと無関係に、
 人間の喜びと悲しみの断片をつなげて書いていくことができるのではないかと思いました。

 書き終わった頃、「平岩弓枝シリーズ」のプロデューサーが
 「この物語をテレビドラマにしよう」と言いました。
 3年に分けて桜のシーンをロケすれば可能だというのです。
 3階も春のロケができるなら、さぞかしきれいなドラマができるんじゃないかと思い、
 やることに決めました。
 ところが、スタッフ全員が桜に振り回される結果になりました。

 2.”雨の3輪、花散る嵐”

 2回目は30代でした。
 信州・高遠城の小彼岸桜で、山本陽子さんが主人公でした。
 スタッフは張り切って、暮れの内から観光課にロケの許可を取り、
 「いつになったら咲きますか」という電話を盛んに入れました。

 どうもこれがまずかった。
 「咲きました」と連絡をいただいて行ってみると、わずか3輪が咲いていただけでした。
 「3輪、ともかく昨日咲いたので、とりあえず、お待たせしたと思って電話をしました」
 とのこと。
 結局出直して、1週間後に何とかロケができました。

 翌年は鹿児島の磯公園の桜でした。
 1回目からそんな騒ぎでしたから「満開になってから行こう」と頑張りましたら、
 待ちすぎて最盛期になっておりました。
 なぜか嵐が来て桜が枝ごと折れて飛んでいってしまいます。

 3.”凍りついた花びら”

 3年目です。
 最後に残っていたのは、アメリカ・ワシントンのポトマック川の桜でした。
 あんまり綺麗だったので、70代と50代の2度使ったのが運のツキでした。

 はたしてスタッフは緊張しました。
 やがて日本大使館から咲きましたと連絡が入りました。
 先発隊に続いて本隊も出発しました。
 ところが本隊出発の日、ニューヨークは時ならぬ大雪です。
 着陸できるかどうかわかりません。
 それでも兎に角行こうと出発しましたが、心配なのはワシントンです。
 ワシントンの桜に雪が降ったら大変なことです。

 ニューヨークでロケ隊と別れて、私は一足先にワシントンに飛びました。
 上空から見るとワシントンには雪がありません。
 ニコニコして降りていくと、空港にカメラマンとディレクターとプロデューサーが
 不機嫌な顔で待っていました。
 「現場へ行ってから説明します。」

 タクシーでポトマック川縁に行くと、一面に白い桜並木です。
 「まあ、綺麗じゃない」と言いましたら、カメラマンが「傍へ行ってよく見てください」と
 怒っているので、木の下へ行って見て、思わず私も「あーっ」と叫びました。

 桜がほぼ満開の時に、いきなりマイナス18度まで気温が下がったため、花がカチカチに凍り、
 日が出て気温が緩み、おかげで花が全部下を向いてしまったのです。
 誠に汚い風景です。アップは撮れません。
 やむなく、「引きの絵で撮りましょう」とスタッフを励まして、夕方ホテルに帰ってきました。

 4.”ポトマックの花吹雪”

 ロケ隊は到着してました。
 みんな部屋に入って誰もいなくなったロビーに、
 梅ちゃんという小道具係が一人、ポツンと座っていました。
 本名は梅田君です。

 桜の具合はどうかと聞くので、事情を説明すると、彼は横に積んであった
 大きな段ボールを開け、覗いて見て下さいと言いました。
 見て、私は思わず「梅ちゃん、これ日本から持ってきたの?」と言いました。
 それは手に取って見ても本物の桜とまったく同じでした。

 布を花びらの形に1つ1つ丁寧に切り抜き、細い針金を芯に通したものに、
 それを1枚ずつ縫い付けてありました。
 その手仕事でできた桜が段ボール3個にぎっしりと入っていました。

 「2年間、僕らは桜、桜で飛び回りました。3年目に残ったのがワシントン。
 小道具係として何ができるかを考えました。そして桜の造花を思いついたのです。」

 彼は布地を探し、女性の花飾りを作っている職人さんの指導を受け、
 1枚ずつ花びらを切り抜いて桜を作り出しました。
 10ヶ月くらいかかったそうです。それはそうでしょう。
 昼間はテレビ局で仕事をしている人です。
 桜作りに励めるのは帰宅後だけです。
 おそらくラストは徹夜だったに違いありません。

 「付け方も研究し、カメラテストもさんざんしてきました。これならアップも撮れます。
 これを桜の木に付けますからお任せ下さい。」
 しかし、アメリカではポトマック川の桜を、日米友好の印としてとても大事にしており、
 木に登ったり、枝を折ったりすると、すぐ警察に捕まってしまいますので、できません。
 ところが「大丈夫です。夜明け前の真っ暗闇にやりますから」と彼はやる気まんまんです。

 翌朝午前3時。
 マイナス10度近い寒気の中を、彼はスタッフと出て行きました。
 私は5時近くまで待って俳優さんと一緒に行きました。
 川縁は梅ちゃんの桜で満開になっていました。
 カメラマンも嬉しそうでした。
 そんな中でロケが始まりました。緊迫したロケです。

 夕方になって、財津一郎さんが70代の佐保子役の杉村春子さんの乗る車椅子を押しながら、
 川縁を歩いて昔話をする演出のところにきました。
 ディレクターが「桜吹雪が少し欲しいな」と言いました。
 プロデューサーも頷きました。

 梅ちゃんが走ってきて「桜吹雪が欲しくないですか。」
 布袋に彼が作った花びらがぎっしり入っていました。

 「僕は花吹雪の稽古をしてきました。自信があります。やらせて下さい。
 ただ先生にお願いがあります。
 木へ登ると警察が来ると思います。
 僕が捕まると、小道具僕一人なので、明日からの小道具がわからなくなるので」

 「わかった。こんなすごい桜を作ってくれたんだもの。パトカーが来たら私が乗って行く」
 と言いましたら、嬉しそうな顔をして袋を背負って木へ登って行きました。
 そして本当に絢爛たる桜吹雪を作りました。
 その桜吹雪の中で、最後のロケが無事終わりました。

 「それ、早く帰ろう」と、みんなで片っ端から桜を外してホテルに逃げ帰り、
 「良かったね、パトカーが来なくって」と大笑いしました。
 実は翌日、大使館で聞いたのですが、警察が来なかったのは、
 たまたまロケ日がイースター前の休日で、官公庁から警察から全部お休みだったそうです。
 「知らないでやってんですか、度胸いいなあ」と参事官の方に笑われましたが、
 ともかくも1週間のロケを無事に終えて帰ることができました。

 5.”使わずにすんだら良かったんですけれど”

 帰りの飛行機で、梅ちゃんに「本当に有り難う」とお礼を言ったところ、
 彼は何のてらいもない声で「使わずにすんだら良かったんですけれどね」と言いました。

 ショックでした。確かにその通りです。
 ポトマック川の桜が咲き誇っていたら、彼が10ヶ月もかけて作った桜は、全くの無駄です。
 彼は無駄になる可能性がたくさんあるにも関わらず、
 万が一の時に小道具係として何ができるだろうかという思いで、誰にも言わずに桜を作り、
 アメリカに持ってきた。

 しかも、お礼を言った私に対して誠に自然な声で
 「使わずにすんだら良かったんですけれどね。」
 この若い人は何とすごい人生観を持っているのだろうと思いました。

 私の恩師長谷川伸先生は「人間の生きる方法、人間が生き甲斐を見つける方法、
 それはそんなに難しいものじゃない。
 自分が今、何ができるか、それをひたすら考えていれば、自然に答えが出てくるものだ」
 と口癖のように言っておられました。

 まさに梅ちゃんの生き方はそうだったんだなという気がいたします。

 <了>

 以上は、インプットアルファ現代情報研究所様のご了承をいただき、紹介いたしております。